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第60回 師ありてこそ

寺田 一清先生より
(当社の名付け親)

「遭い難しくして遭うを得たり
聴き難しくして聴くを得たり」
というのが、何よりの実感です。私の今日有るは全く、森信三先生とのお出会いに始まります。

昭和四十年二月、母校の図書室ではじめて、少数参加の一員に加わり、身近にお話を拝聴する機会を得ました。その時の一語は「大松監督の回転レシーブは、佐々木小次郎のつばめ返しにも優るとも劣らぬ日本鍛錬道の粋である」という一語に茫然自失。わが生涯の 師の決定となりました。時に森先生は七十歳、私は三十八歳でした。その日以来の師事で、宿世の因縁と言う他ありません。生来、病弱にして意志薄弱、その上記憶力わるく、何一つ取り得とてなく、劣等感の固りと言ってよく、大学受験もままならぬ状態でした。

森信三先生の歴史的評価
詩人の坂村真民先生は、二一世紀の扉をひらくただ一人のひとは、森信三先生ですと、断言せられました。また世界の難病救済者の甲田光雄先生は、いよいよ森信三先生の出番がやってきましたね。と力説せられました。

(1) 国民教育者の師父であるという評価は、業績から言っても定着しています。

(2) 次に「全一学」の創唱者として、日本民族の生んだ哲学者として、後世の評価を待つより他ありません。

(3) 第三として「人生二度なし教」の教祖であり、「生き方」宗の宗祖といえましょう。森信三先生の雅号を「不尽」と称せられました。不尽とはエンドレス即ち終りがない、と解釈しておりました。ところが、万葉集にある赤人の歌に「富士の高根に」の富士は不尽なのです。森先生の不尽は富士の霊峰なのでした。「高さも高いが裾野が広い」ここに秀麗不尽の特質があります。森先生の目指されたのも、かくの如しでした。

森信三先生から何を学んだか
指折り数えれば、数限りないものです。食事のとり方、入浴の仕方、寝る時の注意という日常瑣事から「宇宙の大法」にいたるまで広範囲にわたるものです。その中から今日は五つの事柄につき列挙させてもらいます。

(1) 朝のあいさつ人より先に

相手の心の扉をひらくキメ手です。「伏せたコップを上向けにする方法」です。伏せたコップにビールをついでも周囲を汚すだけです。それには、年下の者や下位の者 にも、先にこちらから「あいさつ」の先手あるのみです。

森先生は「家庭における三つのしつけ」として第一に、この「あいさつ」そして「ハイの返事」、「はきものを揃える」を掲げられました。この三つを幼稚園に入る以 前にしつけることの大事さを説かれました。しかしこの「しつけ」の方法は、一切小言を言わず、親たり教師たる者が、先にあいさつをする以外に対策はございません。 これはタネマキであり、呼び水としてたいせつです。

(2) 腰骨を立てつづける

森先生は十五歳のころ、小学校の給仕当時、静座の祖岡田虎次郎先生に出会い、立 腰のすばらしさに気づき、それ以来、腰骨を立てつづけられ、修得せられました。集中力・持続力・結実力に欠ける私にとって正に開眼の機を頂きました。それ以来、今日まで守り続けています。

(3) 下座行のこと

森先生は曰く「高壇に立って人に教えを説く身にはせめて二・三の下座行をひそかに心掛けねば……」と仰せです。森先生は紙屑ひろいの行者でした。たえず乗降の駅のホームのゴミはいちはやく拾われました。トイレ掃除のボサツ鍵山秀三郎先生と、ご縁を頂き、「掃除に学ぶ会」にも進んで参加し、下座行のマネごとをさせてもらうのも、森先生の教えのたまものです。

(4) 美点長所をみとめてほめる

森先生はまた、相手の美点長所をみとめることにおいては、人後におちぬと自信をもっておられました。ほめるのも直接法と間接法とあり、間接的にほめるのもまた効果的です。ほめるのはおだてなのでなく、人間存在の根底に触れる重大事です。道元の「愛語よく回天の力あるを学ぶべきであり」の名言にある如くです。

(5) ハガキ活用の達人たるべし

森先生ほど手書きのハガキの活用を力説された人を知りません。ハガキ道の坂田道信先生も森門下の高弟福永康起先生のおすすめを受けて以来です。森先生は、自らの執筆よりも、ハガキ書きを優先せられました。全執筆の七割八割は、実にハガキ書きに終始せられました。そのほか、森信三先生に関する逸話の数々をお傳えしましたが、これは紙面の都合上割愛させてもらいます。

2002年9月14日 大阪 天分塾で学ぶ

by トーマス(2009.11.29)